贈る理由なんて、説明しなくていい。
――父と息子とクロコダイルレザーの話
執筆:高橋 鷹人(ラグジュアリー観察家)
◆ある男の話から、始めよう
百貨店で外商をしていた頃、ある常連のお客様がこう言った。
「父の日の贈り物って、毎年むずかしいんですよ。モノにこだわらない人だから。だけど今年は、何か“残るもの”を贈りたいと思いまして。」
その方は、最終的に一つのレザーウォレットを選んだ。
それは艶を抑えたダークネイビーのクロコダイル。
ごつごつしているようで、手に吸い付くように馴染む。不思議な存在感を持った一枚だった。
◆「父の日」という、感情の通らない交差点
私にとって、父の日はどこか“照れの抜けない行事”だった。
母の日には花を贈れるのに、父の日となると、どうにも言葉が出てこない。
きっと私だけではないだろう。
何かを贈る理由を、いちいち言葉にしなくてもいい。
モノに想いを託すのが、男のやり方だ。
だからこそ、男は“語らなくても伝わるモノ”を贈りたがるのだと思う。
◆レザーは、贈る人の“温度”を記憶する
レザー、特にクロコダイルのような天然素材は、贈った後が本番だ。
どれだけ長く使われ、どんな風に艶を増し、どれだけ手に馴染んでいくか。
それは、贈り手と受け手の時間を共にする旅路でもある。
モノに無頓着な父でも、使い込むうちに「これはいいものだな」とつぶやく瞬間がきっとある。
そしてある日ふと、息子に言うかもしれない。
「これ、おまえがくれたんだったな。」
それだけで、もう十分じゃないかと思う。
◆“ふさわしい”という肯定を贈る
クロコダイルレザーは、贈り物にしてはやや重たいかもしれない。
でも、それを贈るということは、「あなたはそれにふさわしい」と背中を押すことでもある。
“いい財布を持つにふさわしい人”。
“本物を使いこなせる人”。
それを父に伝える手段として、これほど静かで、強いメッセージは他にない。
◆最後に ― 贈る人が、いちばん照れている
結局のところ、父の日の贈り物は、贈る側の「感謝を言えなかった人生」への埋め合わせかもしれない。
でも、そういう照れや不器用さも含めて、
レザーは受け取ってくれる。
艶になって、折り目になって、手触りになって、やがてそれは、父の時間になる。
贈る理由なんて、説明しなくていい。
いいモノを、ただ黙って渡せばいいのだ。
次回の更新も、どうぞ楽しみに。